2017年4月
無 料 点 検
 七里教会牧師 小林則義

 以前某ガス会社の無料点検を受けた。担当者は約束の時間ぴったりに来た。私は掃除中だったため思わず「ちょっと早過ぎるな」と口にしてしまった。そしたら「それじゃあ近くに別の点検がありますので、そちらを先にします」と言って出かけて行った。私の不誠実な対応に比べ実に誠実で爽やかな対応であった。
 私は一本取られた気持ちだった。それから三十分後、彼は再び来た。言葉遣いは丁重。仕事はてきぱき。話を聞いても、仕事ぶりを見ても、実に気持ちがいい。思わずクリスチャンだろうか、クリスチャンでないなら「敵ながら?天晴れ」と思ってしまった。いつも家に工事や仕事に来る人には何かしら飲み物を差し上げていた。しかし今日はそれがなかった。冷蔵庫の中を見ても何もない。缶ジュースもない。缶コーヒーもない。この人に何の報酬もあげられない。

私はしょうがなく丁重にお礼を言い、車が立ち去るのを見送った。しかし湧き上がる感謝の気持は抑えきれず、とうとう派遣先の某ガス会社に電話をしてしまった。来られた人の名前を告げ、是非お礼を伝えてくれるように頼んだ。このようなことは、私にとって初めての経験だった。
 無料点検のサービスというものは何か胡散臭いところがあるものだ。何かにこじつけて有料の修理に結びつける輩は多い。しかしこの人は違った。丁重に説明し、自分の判断ミスの可能性も認め、点検してほしい所、点検上注意することなどを実によく教えてくれた。あまり関係ない水道メーターの見方まで教えてくれた。そして何かあったら連絡をくださいと言って帰って行った。
服装はもちろん、「専門知識と技術良し」「接客態度と言葉遣い良し」「評価A」である。
 某ガス会社の無料点検の人と比べてはおかしいが、神様も無料の点検サービスを行なっておられる。何の報酬も求めない。全くの無料だ。しかも愛のこもったサービスは完璧である。故障だらけの私たちの心を無料で点検し、しかも無料で修理までしてくださる。それだけでなく、永久に修理を保証してくださる。永久の保証書つきである。「評価は特A」いやそれ以上である。
 私たちは無料と聞くとなかなか価値を見出せないときがある。当然だと思うだけでなく、私のように不誠実な態度を取るかもしれないだろう。
しかし神様からの「無料の愛の点検と修理」は、価値がないどころではなく、価値がつけられないほど尊いということなのだ。無料なのは私たちが支払うことができないほどであるから無料なのである。
今改めて天の神様に電話をし(お祈りをし)、感謝を込めて「無料の愛の点検と修理をありがとう」と伝えたい。
そして今度はあの某ガス会社の人のように「聖書の知識良し」「人への愛情良し」「善かつ忠なる僕としての評価A」を目指したい。
「事実、あなたがたは、恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物です。」(エフェソ書2章8節)
(この文章は「トラクト」からの転載です)


ウィンドウを閉じる