2017年3月
慕いまつる主なるイエスよ
 七里教会牧師 小林則義

 以前、私は「ゴスペルを歌う会」に関わっていました。私は練習の前に短くメッセージとお祈りをするだけでしたが、その賛美は美しく確かに魂に訴えるものがありました。ゴスペルはひとりで歌う場合もありますが、何人かで歌う場合もあります。その調和された賛美もまた素晴らしいものでした。何故ゴスペルはこんなにも私たちの魂に訴えてくるのでしょうか?その不思議な力はどこからくるのでしょうか?
 それは、ゴスペルが黒人霊歌をもとにし、当時の信仰復興運動と結びついてできたからです。アメリカの南北戦争が終わって黒人たちはシカゴなど大都市で自由に生活できるようになりました。しかし、いまだに残る差別と貧困から解放されることはありませんでした。彼らは大都市での惨めな孤独の生活を強いられていました。そのような中でトーマス・A・ドーシーが黒人たちの苦しみや喜びを切実に歌う世俗的なブルースと自分に注がれた信仰復興運動のメッセージを合体させてできたのがゴスペルだったのです。言ってみれば、ゴスペルは魂のどん底から神への賛美、感謝、喜び、希望を歌っているのです。
 私は学生時代に信仰を持ちましたが、当時ある宣教師から聖書と讃美歌を教えてもらっていました。そこで賛美をしていると、すごくひかれる讃美歌がありました。何故か分かりませんが、ことばで言えない感謝と喜びが湧き上がってきたことを覚えています。後で知りましたが、その讃美歌は、あの有名な盲人のハニー・クロスビーが作った讃美歌でした。彼女はいろいろな困難を通って神と出会った喜びを高らかに神に歌っていたのです。
 トーマス・A・ドーシーは「ゴスペルの父」と言われています。彼については、後になって聖歌557番の作者だと知りました。改めてこの聖歌を歌ってみると、何故か涙が止まりません。悲しみに打ちひしがれ、立ち上がろうとしている人の神への祈りが聞こえてくるからです。
 トーマス・A・ドーシーはゴスペル歌手として大いに用いられていました。彼はある大きな集会で歌うことを頼まれました。妻は出産間際でしたので、躊躇しましたが、彼女に励まされて出かけて行きました。ところが、2日目の舞台に立っていたとき電報が届いたのです。妻が出産したとき、息が絶えたというのです。そのうえ、生まれたばかりの赤ちゃんまでもまもなく息が絶えたのです。彼は友人の運転する車で帰宅しましたが、冷たくなった妻にすがりついて涙を流すだけでした。そのような中で「ゴスペルの中のゴスペル」といわれる「慕いまつる主なるイエスよ」が生まれました。聖歌557番の歌詞を紹介しましょう。
1慕いまつる 主なるイエスよ とらえたまえ われを 道に迷い 疲れ果てし 弱きしもべ われを
2風はつのり 夜は迫る されど 光見えず み手をのべて 助けたまえ めぐみ深き イエスよ
3胸の内に やすきあらず いまか息も たえなん 近くまして きかせたまえ 愛のみこえ われに
4こたえたまえ 主なるイエスよ さけび祈る 声に 起こしたまえ 立たせたまえ たおれしずむ われを


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