2017年2月 
 神山復生病院訪問記
 七里教会牧師 小林則義

 寒い雪の残る御殿場を訪れたのは今から30年前のことでした。木造平屋建ての病棟を私と友人は、元患者さんの案内でとても厳粛な気持ちで歩いていました。当時の朝日新聞に「自分の生涯を捧げてハンセン氏病のために働いた女性」のことが紹介されていました。私たちは、この話に感動してこの女性にお会いしたい、この女性のお話をお伺いしたいと訪問に至ったのでした。女性のお名前は、ハンセン氏病に尽力された故井深八重さんです。遠藤周作の小説のモチーフになったり、この方をモデルにした戯曲も作られました。
彼女は21歳の時、ハンセン氏病の疑いでここ御殿場の神山復生病院に連れてこられたのですが、一年たっても発病せず再度精密検査をしたら病気でないことが分かったのです。その驚きと喜びの中で、患者さんを我が子のように慈しむ宣教師の姿に打たれ信仰を持たれました。その後看護婦学校に通い、病院のたった一人の看護婦として働き続けたのです。私たちが訪問した時、井深さんは病床に臥せっておられ、残念ながらお会いすることは出来ませんでした。代わりに元患者さんが案内とお話を聞かせてくれました。
戦後、治ライ薬が開発されて、この病気は不治の病ではなくなり、元患者さんの社会復帰の可能性は開かれました。しかし、この病気に対する偏見は根強く、長く隔離の政策が取られてきました。数年前熊本のホテルが元患者さんの宿泊を拒否したことで大きな社会問題になりましたが、差別と偏見はいまだに残っているといわざるを得ません。実際、私と同行した友人でさえ、元患者さんの形相に圧倒され、ずっと下を向いたままで声をかけることも出来ませんでした。
 最後に、元患者さんと私たちは聖書を読み、共に祈りの時をもちました。差別と偏見の中で肉体は朽ち果てても、内側から輝き出る魂の輝きの厳粛さをそこに見ることが出来ました。

 その後、私は地元の障害者団体の主催でハンセン氏病の多磨全生園を訪問しました。暖かい日差しの中、全生園は落ち着いた静かなたたずまいでした。それは全国の元患者さん、三千七百名、平均年齢76歳という元患者さんの急激な高齢化と減少によるものでした。資料館には故井深八重さんの大きな肖像が掛けられていました。そして、配られた「『多磨全生園の隠れた史跡』めぐり」というパンフレットを手にして、差別と偏見の出来事が、もう歴史の片隅に押しやられてしまっているのかという思いでいっぱいになりました。

 2001年、提訴された「らい予防法違憲国家賠償請求訴訟」に対して、裁判所は違憲の判決を下しました。2002年、国は「療養所等退所者給与金事業」を開始し、啓発活動と元患者の名誉回復の対策をやっと始めたのです。

聖書は次のように言っています。
「そこではもはや、ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。」(ガラテヤ信徒への手紙3章28節)

(この文章は「トラクト」からの転載です)


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