2016年11月
お金で買えないもの
 七里教会牧師 小林則義

 何年か前のことです。私がまだ養護学校(現在の特別支援学校)に勤めていたときのことです。ある不動産屋さんから何回も電話で勧誘を受けました。資産としてのマンション購入の勧誘です。夜遅くまで、あまりに熱心に勧誘してくるので、とうとうお会いする約束をしました。勤務を終えた学校でお会いすることにしました。あまりの熱心さ、しつこさに男である私も少し「怖い」という気持ちになり、そして、どんな人物かとその日を迎えました。
 会ってみると、何ときちんとスーツを着こなした若者二人でした。電話で「怖い」と感じさせた人物は紳士的な若者二人だったのです。私は一通りの説明を聞いた後、こう言いました。「どうして私を選んだのですか?」「どこから私の情報を得たのですか?」そのことに若者二人は答えられませんでした。続いて私は、そんなにお金持ちではないし、お金に執着していないことを伝え、「私たち養護学校の教員や施設の職員はみなそうです。私たちはお金を必要としているが、お金のためだけに働いている者ではありません。むしろお金で買えないものを大切にしているのです。」と話しました。「あなた方は不動産、家を勧めてきている。それによって豊かな生活ができると言っています。不動産、家はお金で確かに買えます。しかし、幸福な家庭、暖かい施設の交わりはお金で買えません。」と答えました。
 私はノルウェーの詩人アルネガール・ボルグの「お金」という詩を思い出しながら、お金で買えないものを次々と上げていきました。「食物はお金で買えるが、食欲は買えない。」「薬はお金で買えるが、健康は買えない。」「ベッドはお金で買えるが、睡眠は買えない。」「化粧品はお金で買えるが、本当の美しさは買えない。」「友達はお金で得られても、友情は得られない。」「SEXをお金で買おうとする悪い大人もいるが、本当の愛はお金で買えない。」話が終わると、不動産屋さんの若者二人は黙って帰っていきました。
 人生にとって大切なものは、お金で買えるものではなく、買えないもの、目に見えないものです。今日の日本を危うくしているものは、経済優先、効率優先というより、むしろ「拝金主義」のような考えです。これがまさに偶像礼拝なのです。聖書は次のように言っています。
「わたしたちは見えるものではなく、見えないものに目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」(コリントの信徒への手紙二四章十八節)
 あなたも聖書から目に見えない大切なものを学んでみませんか。
                           (この文章は「トラクト」からの転載です)




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