2016年9月
主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない
 七里教会牧師 小林則義

 聖書では神様、主イエス様と私たちの関係を羊飼いと羊の関係に例えています。詩編二十三編でもダビデはそのように例えています。
 「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。」
 羊飼いに養われている羊は何も欠けることがありません。何故なら、羊飼いが羊の必要を全て満たしてくれるからです。
 「主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い」ます。
 羊は青草を食べます。羊飼いは羊を青草の十分な牧草地に連れて行きます。そして十分な飲み水を与えます。
 神様は私たちにとって羊飼いのようなお方です。羊飼いが羊を養うように養ってくださいます。食べ物、飲み物、服、家、車これらのもので神様から来ない物があるでしょうか。元をたどれば、全て神様が与えて下さった物です。

 ある人は言うかもしれません。これら全ての物は、私が働き、私が稼ぎ、私のお金で、私の必要なものとして、私が買いました。ある意味ではそうかもしれません。しかし、よく考えてみると、私たちが働き、健康であるのも神様のおかげです。私たちの働きも、健康も実は神様の賜物です。神様は私たちを造り、私たちを生かして下さっているお方です。羊飼いが羊を養うように神様は私たちの必要を満たしてくださっているのです。主を信じ、主によって罪赦された私たちの必要を主は満たして下さっているのです。

 私は大学生の時、お金が全くなく困ったことがありました。大学生にはなれましたがお金が全くありませんでした。お金がないということは情けないことです。ひもじいと言うか、心細いんです。だから、お金のない人の不安な気持ちはよく分かります。
 よく日雇いのアルバイトのような仕事をしました。山梨はぶどう園が盛んでしたから、ぶどう園でも働きました。まるで聖書の世界です。しかし祈りにならない祈りを続けていると、道が開けてきました。実家の一軒上の家のおばさんがクリスチャンでした。その家は書道教室を開いていました。「のりちゃん、ここを貸すから塾を開いてみなよ」と言われ私はそこで小学生を相手に塾を開くことが出来たのです。そしたら昔の同級生が来て、自分の弟の家庭教師をやってくれと言うんです。「お金ないんだろ俺が奮発するから」と言って家庭教師の仕事も与えられました。それから奨学金をもらい、授業料まで免除してもらいました。うれしかったです。
 神様を信じて、神様と共に歩むなら必ず必要は満たされます。しかし神様は必要以上は与えてくださらなかったことも確かです。夏休みはいつも一ヶ月間は土方をしていましたから。

 牧師となった今もこの確信は変わりません。神様は必ず必要なものを、必要な助けを、必要な人を、必ず与えてくださる。私の働きのために必要なものは全て与えられていると信じています。あとは私が働くだけなのです!