「主のしてくださったよいことを何一つ忘れるな」
(詩編103編) 
 小林知子

 私たちは、大なり小なり日々様々な困難にぶつかる。その度に主なる神様は、救いの御手を伸ばしてくださる。難しい試験に合格できた、重い病がいやされた、といった「大きな困難」を克服できた感謝は、だれしも忘れることはないだろう。ところが、もっと日常的な「小さな困難」を切り抜けた場合はどうだろう。

 数年前のこと。
 私は次の聖日までにある資料を作成して(当時通っていた)教会の役員に渡さなくてはならなかった。その資料のフォーマットは教会のパソコンの中にあるので、教会に行かなくては作成できない。平日は仕事、土曜日も用事が入っていたので金曜日の夜、仕事帰りに教会へ寄った。
 資料そのものはフォーマットに数字や単語を入力するだけなのですぐにできたのだが、困ったことが起きた。プリントアウトができないのだ。パソコンの「印刷」をクリックするとプリンターはちゃんと作動するし、インク残量も十分。それなのにプリンターからは白紙の紙が出て来てしまう。何回か同じ動作を繰り返しても同じ。教会員の人数分印刷しなくてはならないのに。
すでに牧師は帰宅して相談できないし、メモリーカードも見当たらない。
 教会で最もメカに強いAさんに、日曜の朝早めにきて見てもらうより他にないと思い、ケータイでAさんに電話。幸いなことにつながり、状況を話すとなんと「今から行きましょうか」と。すでに夜七時過ぎである。約十分後に到着したAさんはすぐにパソコンとプリンターをチェックし、インクカートリッジのインクの出口が詰まっていることを見つけてくれた。カートリッジを交換し、無事プリントアウト及び人数分の印刷終了。Aさんに心から感謝、というほかなかった。おかげで翌日土曜日も、晴れ晴れとした心境で休日を楽しむことができた。

 ところが・・・Aさんに助けられ、主に心から感謝、という思いになったこの体験を、私はいつの間にかすっかり忘れてしまったのである。たまたま数年前の日記を読み返し、「そういえばそんなことがあった」と気づかされた。

 このことだけでなく、常に神様は愚かな私を困難から救うために「人」や「力」「物」などを備えてくださる。それなのに、すぐにそれに対する感謝を忘れ、不平・不満を抱く者となってしまう。
 神様がしてくださったよいこと、特に日々の困難を切り抜けられた感謝を忘れずにいられたら、もっと喜びに満ちた毎日をおくれるのではないか。


2017年3月


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