「あなたがたの言葉が、いつも親切で、塩味のきいたものであるようにしなさい」
  (コロサイ人への手紙4章6節)
 小林知子

  ある病院に勤務されていた女性の方のお話。その病院では十年くらい前、患者さんの名前に「様」をつけて呼びましょう、ということになった。「小林様、二番の診察室へどうぞ」という感じである。ところがその後、一部の患者さんたちに思いがけない変化が表れた。横柄になり、スタッフへの暴言、暴力、セクハラまで行われ始めた。病院スタッフは話し合い、従来の「さん」に戻した。すると患者さんの態度は少しずつ変化し、元に戻ったという。
 「さま」と「さん」ではたった一文字違い。それでも人によっては態度がこれほどまで違うのか、と驚いた。今さらながら、言葉の、人に及ぼす影響力のなんと大きいことか。
 「コロサイ人への手紙」には「親切で塩味のきいた言葉」を遣うように、という御言葉がある。塩味のきいた言葉とは? 私の?に応えるかのように、『こころのごはん』という本の中で作者の宮葉子さんは、「ほどよく抑制を利かせながら、相手を生かす知恵のあることばを選ぶ。それが『塩味のきいた』ことばの意味かもしれません。」と書いている。それはまたとんでもなく難しい。そんな言葉遣えるかな・・という私のため息を聞いているかのごとく宮葉子さんは、「塩味に気をとられすぎずまずは『いつも親切で』あることを思いだしていきませんか」と続けている。
 「親切」を心がけるのは私にもできそうだけど、これも案外難しい。最初に紹介した病院のスタッフも、「~さん」より「~様」の方が丁寧で親切に聞こえるだろうと考えたのではないか。ところが結果は裏目に出てしまった。
 阪神大震災で二十代の息子を失ったあるクリスチャンの方は、「息子さんは天国へ行ったのだから」と言われるのが一番つらかったという。言う側は少しでも慰めになれば、と親切のつもりで言っているのだろうけれど、言われる側にしてみれば「息子さんは天国に行ったのだからやたらに悲しむな、と言われているようで余計つらい」という心境だろう。かくいう私も、励ましたり慰めたりするつもりで言ったことに対して「かえって傷ついた」と言われたことが何度かある。

 では、どうしたらいいのか。考えた末「塩味のきいた言葉を遣うようになるためには、塩味のきいた言葉で書かれている書物を読み、それから学ぶしかない」と気づかされた。この世で最も塩味のきいた言葉で書かれている書物、それは聖書である。


2017年2月


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