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「その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び、葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。」(詩編1編3節)

「幸いな人生」とは神と共に歩むことです。
詩編1編3節は、私たちのいのちは神と共に歩むことにあると教えています。
「流れのほとりに植えられ」豊かな実りを約束されている木のように、神と共に歩む者は「すべて、繁栄をもたらす」と教えています。
何故でしょう?何故なら「その人は流れのほとりに植えられた木」すなわち、その人の歩みは常に神の恵みの中にあるからです。どうぞ七里教会にお出でください。


  
 2017年8月20日(日) 午前10:30~11:45
聖 書  マルコによる福音書9章30~37節
説 教 「一番偉い者」
説教者  小林則義 牧師
讃美歌  27 105 549  566 65-1 28 


説教導入
 私の山梨の実家では、私が子どもの頃、食事の席が決まっていました。上座と言われるところから祖父、父、そして子どもたち(子どもたちも長男から)、そして一番端が給仕をする母でした。序列が決まっていました。一番偉いのは祖父であり、父であったのです。お風呂に入る順番も決まっていました。一番風呂はいつも祖父でした。次に父、そして子どもたち、最後は女性たちでした。女性が一番風呂に入ることは決してありませんでした。一番風呂を祖父は楽しみにしていましたが、祖父の次に祖母が入ったということはありませんでした。

 悲しいことですが、人間の世界は、誰が一番偉いのかという世界です。多分食事の時など、誰が主イエスの隣に座るのかということで、弟子たちはもめたと思います。一番はじに座れば給仕をしなければなりません。私はそんなに弱くない。私はそんなに卑しくない。そういう小さなことから、天の御国では誰が主の隣に座り、大臣になるのかという議論までしていたのです。



 ゴルゴダから真珠湾へー淵田美津雄の軌跡
   8月の平和メッセージ
 
淵田美津雄という人は元海軍軍人でした。あの真珠湾攻撃の攻撃隊の司令官でした。真珠湾攻撃が成功した時「トラ・トラ・トラ」「ワレ奇襲二成功セリ」を打電した人です。戦争が終わった時、彼は連合艦隊の参謀にまでなっていました。
 その頃彼は戦争裁判の証人として、占領軍軍事法廷に喚問されていました。被告はC級戦犯の人たちで、連合軍の捕虜を虐待、虐殺した罪に問われていました。その時彼は「戦争裁判は、正義の名において人道に反した者を裁くのだと言っているが、私はこれを勝者が敗者に対して行う、法に名を借りた復讐であると見て、反感と憎悪で胸を燃やした」と言っています。
 するとそこへアメリカに捕らわれていた日本軍の捕虜が送還されて、帰って来ました。彼は日本軍捕虜からアメリカ側の取り扱いぶりを聞きただしました。ところが、いろいろと話を聞き回っているうちに、ある収容所にいた捕虜たちから次のような話を聞き、心を打たれました。その収容所に、いつ頃からか、一人のアメリカの娘さんが現れるようになりました。いろいろと日本軍捕虜に親切を尽くしてくれたのです。まず病人への看護から始まりました。やがて2週間たち、3週間たっても、このお娘さんの奉仕には一点の偽りも認められませんでした。やがて捕虜たちは次第に心を打たれて尋ねました。「娘さん、どうしてそんなに親切にしてくださるのですか」彼女は、初め返事をしぶっていましたが、みんながあまり問いつめるので、ついに返事をしました。その返事はなんと意外でした。「私の両親が日本の軍隊によって殺されたからです・・・」

 淵田美津雄はここまで聞いて驚きました。「両親が日本の軍隊によって殺されたから、日本軍捕虜に親切にしてやる。それでは話は逆だ!」「詳しく聞かせてくれ」彼は膝を乗り出して聞いたそうです。話はこうでした。この娘さんの両親は宣教師で、フィリピンにいました。日本軍がフィリピンを占領したので、難を避けて山の中に隠れていました。やがて3年、アメリカ軍の逆上陸となって、今度は、日本軍は山の中に追い込まれて来ました。そしてある日、その隠れ家が発見されて、日本軍は、この両親をスパイだと言って斬ると言ったそうです。「私たちはスパイではない。だがどうしても斬るというのなら仕方がない。せめて死ぬ支度をしたいから30分の猶予をください」そして与えられた30分に、聖書を読み、神に祈って、そして斬殺されました。
 やがて、事の次第はアメリカで留守を守っていた娘さんのもとに伝えられました。彼女は悲しみと憤りに満たされました。「父や母がなぜ斬り殺されなければならなかったのか」野蛮で呪わしい日本軍隊、憎しみと怒りと悲しみに胸は張り裂ける思いであったといいます。だが、静かな夜が彼女を訪れたとき、両親が殺される前の30分、その祈りは何であったかを彼女は思いました。すると彼女の気持ちは憎悪から人類愛へ転向したというのです。

 淵田美津雄はその美しい話を聞きましたが、まだよく分かりませんでした。そしてある日、かつて東京爆撃隊の爆撃機の爆撃手であったJ・デシーザーの入信手記をきっかけに、ひとつ聖書を読んでみようと思い立ち、早速、聖書を買い求めて、あちらこちらとさぐり読みをしているうちに、ルカ福音書23章34節、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」のところで、彼はハッと、あのアメリカの娘さんの話が頭にひらめいたのです。これは十字架上のイエス・キリストとりなしの祈りでした。

 敵を赦しうる愛、今こそ彼はあの娘さんの話がはっきりと分かりました。斬られる前の、宣教師夫妻の祈りに思い至ったのです。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」彼は目頭が熱くなるのを覚え、男泣きに大粒の涙を流したそうです。そしてゴルゴダの十字架を仰ぎ見て、その日、彼はイエス・キリストを救い主として受け入れたのです。
 その後淵田美津雄は伝道者、牧師になり十字架の愛をキリストの愛を宣べ伝えたのです。
                         (「真珠湾からゴルゴダヘ」淵田美津雄著より)


日本キリスト教団
七里教会

牧師 小林則義

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