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「その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び、葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。」(詩編1編3節)

「幸いな人生」とは神と共に歩むことです。
詩編1編3節は、私たちのいのちは神と共に歩むことにあると教えています。
「流れのほとりに植えられ」豊かな実りを約束されている木のように、神と共に歩む者は「すべて、繁栄をもたらす」と教えています。
何故でしょう?何故なら「その人は流れのほとりに植えられた木」すなわち、その人の歩みは常に神の恵みの中にあるからです。どうぞ七里教会にお出でください。


  
 2017年7月30日(日) 午前10:30~11:45
聖 書  マルコによる福音書9章2~13節
説 教 「栄光の姿」
説教者  小林則義 牧師
讃美歌  27 504 285 411 65-1 28 


説教導入
 主イエスは言われました。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」ある意味では非常に厳しい教えでした。主イエスは弟子の道を教えられました。
 今日はその続きです。受難予告をし、十字架への道を踏み出された主イエスは、そのための備えをしたいと思われたのでしょうか?それが今日の「変貌」といわれる主イエスの姿が変わられる出来事です。

 私は、神学生の時、三崎町教会という教会から奨学金をいただいていました。その教会で、ここから子どもに向けてお話ししてくださいと頼まれたことがあります。たいへん悩みました。どうやって子どもたちに話そうかと思いました。その時の大人向けの話は99匹の羊のうち1匹が迷子になったところからでした。これが反対だったらいいのにと思いました。ともかく子どもが興味を持ってお話を聞くには紙芝居しかないと思い紙芝居を作ったことを覚えています。

 ところが、絵にしてしまうと何か物足りない気がいたしました。私は、出来事の意味がはっきり分からないと、お話が出来ません。この時は変わる主イエスの姿に気を取られ、その意味がはっきり分かりませんでした。その意味とは、十字架の道を踏み出された主イエスの心備えにあったのだと後で分かったのです。

9章の2節
「六日の後、イエスは、ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり」「六日の後」とは、フィリポ・カイサリアで、ペトロが信仰告白をし、主イエスが受難予告をされた時からということです。ちょうどそれから1週間後ということです。・・・



 「失われた羊」今月のメッセージ
 
そこで、イエスは次のたとえを話された。「あなたがたの中に、百匹の羊を持っている人がいて、その一匹を見失ったとすれば、九十九匹を野原に残して、見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか。そして、見つけたら、喜んでその羊を担いで、家に帰り、友達や近所の人々を呼び集めて、『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うであろう。」(ルカによる福音書15章4~7節)

 私は自分が迷子になったことはありませんが、自分の息子を迷子にしたことがあります。当時息子は3歳だったと思います。家族で伊豆に旅行に行きました。確か土肥の金山だったと思います。お土産屋さんで一瞬目を離した隙に息子がいなくなってしまったのです。5分探しても見つからない。10分探しても見つからない。15分探しても見つからない。周りは人も車も多く、そして近くには水、水路もある。私は肝が冷えるというか、心臓が縮む思いをしました。私はこのとき、とっさにお祈りしました。「神様息子を守ってください」しかし20分たっても見つからない。これ以上交通量も多いので危険だから警察に届けようと思いましたが、でもとっさにひらめいて、こっちの道を行ったのじゃないかと思い捜しに走りました。三百メートル、五百メートルでしょうか。何と息子が道路の端を走っているではありませんか。その横をダンプが何台も走り抜けているではないですか。私は駆け寄って息子を抱き上げ、神様に感謝の祈りをささげました。そして息子の無事を妻とともに喜び合いました。

 ここに書いてある「見失った羊のたとえ」の表現は、初め私は少し大げさではないかと思いました。しかし息子の迷子事件があってから、この記事が決して大げさではなく本当であるとよく分かりました。「見失った一匹を見つけ出すまで捜し回らないだろうか」(確かにそのとおりです!)「見つけたら、喜んでその羊を担いで行きます」(確かにそのとおりです!)「『見失った羊を見つけたので、一緒に喜んでください』と言うのです」(確かにそのとおりです!)

 羊飼いは一匹の羊を本当に大切にします。一匹が迷子になれば九十九匹をおいて命懸けで捜します。ユダヤの世界では、五百匹の羊がいてもその一匹一匹に名前をつけているそうです。他人が見るとみんな一緒ですが、羊飼いが見るとその五百匹の全部の名前がきちんと呼べるそうです。それで、百匹の中で一匹がいなくなったときは見つけるまで捜し歩くのです。

 私たちは自分のわがままや身勝手で神様から離れてしまうことがあります。そして失敗し動けなくなってしまうことがあります。そんな私たちを捜して、大切にして下さるのがイエス様です。イエス様は神様のみこころを行う羊飼いです。

 羊飼いであるイエス様は、病気になってもう治療の方法がない、死を待つしかないという人、そういう人の心も捜し求めて来られます。困難に会ったり、失敗したりして、一人ぼっちになってしまった人の所にもイエス様は来られます。そして羊のように捜し出し連れて帰ってくださいます。


日本キリスト教団
七里教会

牧師 小林則義

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