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「その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び、葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。」(詩編1編3節)

「幸いな人生」とは神と共に歩むことです。
詩編1編3節は、私たちのいのちは神と共に歩むことにあると教えています。
「流れのほとりに植えられ」豊かな実りを約束されている木のように、神と共に歩む者は「すべて、繁栄をもたらす」と教えています。
何故でしょう?何故なら「その人は流れのほとりに植えられた木」すなわち、その人の歩みは常に神の恵みの中にあるからです。どうぞ七里教会にお出でください。


   
 2017年12月10日(日) 午前10:30~11:45
聖 書  マルコによる福音書11章27~33節
説 教 「何の権威でするのか」
説教者  小林則義 牧師
讃美歌  27 242 236 443 65-1 28 


説教導入
 今日の聖書箇所は受難週の火曜日の出来事です。火曜日には多くの論争がありました。今日はその論争の最初のところです。主イエスは権威について論争をされました。

<一行はまたエルサレムに来た。イエスが神殿の境内を歩いておられると、祭司長、律法学者、長老たちがやって来て、言った。「何の権威で、このようなことをしているのか。だれが、そうする権威を与えたのか。」>(27節、28節)

 主イエスと祭司長、律法学者たちとの権威についての論争はどうして起こったのでしょうか?それは前の日の月曜日の出来事がきっかけとなっています。主イエスは前の日、月曜日に「宮きよめ」を行いました。神殿でいけにえ用の牛や羊を売っている商売人を追い出したのです。両替人のテーブルをひっくり返し、両替人も追い出しました。主イエスにとってはかなり過激な行動でした。また主イエスのことばもかなり厳しいものでした。



 七里教会
「クリスマス・ファミリーコンサート」~童謡からゴスペルまで~のご案内
 私たちの七里教会は今年「クリスマスの喜びを分かち合おう」をテーマに「クリスマス・ファミリーコンサート」を企画しました。童謡からゴスペルまで長谷恵郁さんの歌を楽しみ、また一緒に賛美をしたいと思います。ご一緒にクリスマスの喜びを分かち合いましょう 入場無料

日 時    2017年12月23日(土)午後4時~5時30分
会 場    日本キリスト教団 七里教会 礼拝堂
      〒337-0016 埼玉県さいたま市見沼区東門前295-13
         Tel/fax 048-685-3701
歌と指導   長谷恵郁さん(音楽教室・ピアノ教室主宰、亀有教会オルガニスト)
メッセージ      小林則義 牧師
駐車場    七里郵便局とクラウン工業の駐車場をお借りしています。



「靴屋のマルチン」12月のメッセージ
 
クリスマスが近づくと、何故か私は「靴屋のマルチン」という物語を思い出します。「靴屋のマルチン」というのは、本当のタイトルではありません。「愛のあるところに神はいる」というのが本当のタイトルです。トルストイが原作を書きました。

 マルチンは腕のよい靴屋でしたが、妻を亡くし、一人息子も病気で亡くなってしまいます。そんなある日、マルチンのところに一人の老人がやって来ます。マルチンは自分の不幸を嘆きます。「わしはもう、何の望みもなくなってしまった」そして「神様が本当にいるのなら、わたしのところに来てもらいたい」と願います。その老人から「神様のために生きようとすれば、人生もっと楽しくなるよ」と言われ、聖書を読み、祈ることを勧められます。

 ある晩、マルチンが聖書を読んでいると声が聞こえました。「明日、あなたのところに行きます」という声でした。主イエスの声かもしれない。次の日、マルチンは主イエスをもてなす準備をします。でも、主イエスはなかなかマルチンの家にやって来ません。通りの雪かきをするおじいさんにお茶を飲ませたり、赤ちゃんを抱いて寒そうにしている女の人に食事や上着をあげたり、お腹がへってリンゴを泥棒した少年を諭して、おばあさんに謝ってやり、盗んだリンゴの代金を払ってあげたり、ということしか起きませんでした。

 マルチンは主イエスが来ると思い準備をしていました。しかし、主イエスは来ませんでした。ところが、その晩いつものように聖書を読んでいると、また声がしました。「今日はわたしをもてなしてくれてありがとう」「あれは私だったのです」そして暗がりに、雪かきをしていたおじいさん、赤ちゃんを抱いて寒そうにしていた女の人、お腹がへってリンゴを盗んでしまった少年とおばあさんの姿が次々と浮かびました。

 トルストイはマタイによる福音書25章40節「はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。」ここからこの物語を作ったと言われています。

 主イエスに仕えるということと人に仕えるということには多くの共通点があると思います。主イエスに仕えるということと小さくされた人たちに仕えるということは同じであると聖書は言っています。愛を動機として仕えるところに主イエスはおられると言っています。

 私たちは「主イエスよ、あなたはどこにおられるのですか」「私はあなたにどのようにお仕えすればよいのですか」と祈るときがあります。
 主イエスは小さくされた人たちの中におられ、愛を動機として仕えるところにはおられると言っています。
 生きる意味がわからなくなってしまったマルチンは「神様のために生きようとすれば、人生もっと楽しくなるよ」と諭されたことばの意味をここではっきり知ったのだと思います。

 もうすぐクリスマスです。クリスマスは主イエスのお誕生をお祝いする日です。主イエスと出会ったマルチンが変えられたように、私たちも愛する者に変えていただきましょう!
 



日本キリスト教団
七里教会

牧師 小林則義

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 埼玉県さいたま市
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 FAX 048-685-3701

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